災害支援の中継地として機能した山形空港

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これから、山形空港を出発する飛行機の航空券を購入しようと考えている方も存在することでしょう。山形県東根市にある山形空港は、特定地方管理空港です。
かつて、海軍の練習飛行場として設置された時には、山形空港という名称ではありませんでした。そちらの練習飛行場は、戦後、米軍によって使用され、その後に自衛隊などが利用することとなりました。そして、1964年には民間の空港となり、1965年に山形空港という名称に変更されました。その後、1976年には、わが国で初めて、滑走路のグルービングをおこない、1981年には2,000メートルの滑走路を供用することとなりました。そして、1984年には新たにターミナルをオープンし、1988年に県警ヘリのための誘導路を供用し始めました。その後、1997年には山形空港を利用した通算人数が10,000,000人に達しました。
また、2011年には大規模震災が発生しましたが、山形空港に被害が及ぶことはありませんでした。こちらの震災が起こったことにより、周辺の空港が閉鎖されたため、岩手県、宮城県に最も近い場所にあり、損害を被ることの無かった山形空港が、両県の被災地に対する災害支援の中継地点として利用されることとなりました。そういった経緯から、この空港は震災への対応をするべく、24時間体制で運用され、アメリカ軍によっても使用されました。例えば、米軍の大型輸送機が、こちらの空港まで物資を運んだあと、小分けしてヘリコプターでそれぞれの被災地へ運搬したり、ヘリの燃料を供給するために、当空港を利用したりしたと言われています。その後、周辺の空港の中には、まもなく運用の開始されるところもあったものの、閉鎖が続く空港も存在しました。また、震災が発生した直後から、首都圏と宮城県、岩手県を結ぶ鉄道網、自動車道が一定期間不通となったこともあり、定期便が運航している山形空港の航空券が、集中的に利用されることとなりました。その時期には、震災の発生する前と比較して、旅客の人数は10倍以上にものぼったという話です。
山形空港発の航空券を持っている人は、航空券に記載された搭乗時間が来るまでの空き時間を、空港内に設けられた土産物コーナーなどで潰すのも良い方法です。そちらのコーナーでは、山形名物のさくらんぼを使ったお菓子や地酒など、魅力的な商品が盛りだくさんに売られています。それらのお土産に目移りしたとしても、航空券に示された時間までには手続きをするよう、注意して下さいね。

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